皆様、どうもこんにちは。
世の中は金曜で仕事納めという中、土曜も出勤してきたナユタです。
年末の忙しい中、部下(40代後半女性)が「旅行に行ってきますぅ~」と一週間休みを取ったのですが、その前日に「終わりませんでしたぁ~」と書類の山を持ってきやがったのですよ…。
その数、何と100件以上!!!
一日大体20件くらい書類が上がってくるので、約一週間分の分量です。
はぁ?????
一週間休む前から一週間分仕事を溜めてるって何なの????
そして、この時期に一週間も休みを許可した部長も何なの????
怒りが収まらないものの、正月休みに入る前に書類は処理しないといけないので、毎日残業+土曜出勤となったのでした…。
まだ年賀状だって書き終わってないのによぉ。
私の個人的な怒りはさておき、西日本旅下関編です。
9月に行った旅行が12月の段階で完結していないという(笑)
一体いつになったら終わることやら…。
みもすそ川バス停から向かったのは長府。
長府は4年前に一度、訪れた事がある場所です。
城下町長府というバス停でバスを降り、そこから忌宮神社(いみのみやじんじゃ)へ。
由来によると、何と西暦193年建立とのこと。
熊襲を平定するために仲哀天皇、神宮皇后が西国に赴いた際に豊浦宮をこの地に建てたのだそうです。
鬼のような顔をした敵将の首を埋めた場所にある「鬼石」や相撲資料館など、時間があればじっくり見てみたい場所です。
相撲資料館は前回行った時も閉まってたけど…。
あまり時間がないので、ちゃきちゃき歩きます

城下町だった頃の面影を色濃く残す街並み。
しかし、この道幅の狭さに反して
車の往来が半端ない
気を付けながら歩かないと危ないです。
ちょっと寄り道して長府毛利邸へ。
長府藩最後の藩主が明治36年に建てた邸宅で、庭園が有名です。
閉園時間過ぎだったため、見学等は出来ず。
広場で子どもたちが屈託なく遊んでいるのが印象的でした。
下関では各所で子どもたちの楽しそうな姿を見かけました。
そういうのを見ると和むなぁ。
そしていよいよ

高杉晋作が元治元年に挙兵した場所とされる功山寺へ。
4年前に来た時は、台風が上陸中だったため中に入らなかった場所です。
…って山門は
工事中かい
ということで、博物館側から階段を登って行きました。
やっと見つけた高杉晋作挙兵像!
凛々しく馬に乗っておられます

晋作さんカッケーっす

その他にも、功山寺には幕末の政変で失脚した三条実美ら七公卿達が潜伏した「七卿潜居の間」もあります。
帰り道で見かけた「御影の井戸」
菅原道真公とご縁があるようなので、立ち寄ってみることに。
近くに立っていた説明書きによると、菅原道真公が大宰府に流された際、途中長府に寄ったのだとか。
近辺を散策をした時に、井戸に映った姿を自画像として描いたという伝説から「御影の井戸」という名が付いたのだそうです。
1000年以上経った現在では、すっかりジャングルのようになっております…。
長府から再びみもすそ川方面へ。
前回行けなかった赤間神宮へ行くことに。
壇ノ浦の合戦で海に沈んだ幼帝、安徳天皇を祀っています。
赤い艶やかな外観は、竜宮城をモデルにしたもの。
お参りをしている時に見つけた「平家塚と耳なし芳一堂」という表示。
黄昏時に行くのはちょっと恐ろしいですが、行ってみることに。
こちらが芳一堂。
ガラスが反射して、どれだけ覗いても
中の耳なし芳一像が全く見えないの
うへー!!怖いよぉ
ということで、写真もブレブレです

平家塚も、行くのが怖かったので引き返してしまいました…。
今度、明るい時間帯に行こうと思います。
赤間神宮の隣には「日清講和記念館」があります。
日清講和記念条約が締結された場所です。
伊藤博文と陸奥宗光像。
光の当たり方が
ちょっとホラー
日清講和記念館は春帆楼という割烹旅館の敷地にあります。
ここは伊藤博文がふぐ食を許可した最初の店としても有名で、「ふぐの碑」も敷地内に建っております。
伊藤博文がふぐの美味しさに感動してふぐ食の許可を出さなければ、今日ふぐは食べられなかったのかもしれない…?
長府、下関と歴史を十分すぎるほど堪能いたしました。
下関駅方面に戻ろうとバスに乗ったのですが、観覧車が気になったので寄ってみた「はい!からっと横丁」
2013年にオープンした遊園地。
海に近付いてみると、対岸の門司の夜景が見えます。
この絶妙な距離感、何だか良いなぁ。
この日は下関で一泊。
さてさて、年内の更新はこれで終了です。(多分)
それでは、来年もよろしくお願いします

よいお年を


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