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2025年3月23日 (日)

夏の山陰歴史旅 隠岐国分寺編

こんにちは。

ここ2週間ほどすごい寝不足で、やっと土日でゆっくり寝られたナユタです。

仕事が…仕事が…。

送別会とかイベントが多くて、ただでさえ家に帰る時間も遅くなってたしね。

2025年度はもっと早く帰れるように祈願しようっと。

 

それでは山陰旅、今回も隠岐の島旅です!

どうぞっ!

 

玉若酢神社から、次は隠岐国分寺へ。

Dsc_6747
国分寺に入る前に、またしても妖怪の登場!

五体面という妖怪らしいです。

下の台座に効能が書かれているのですが、「意中の人にご対面ができる」と、名前にかけたダジャレが書かれていました。

意中の人に会うよりも五体面に会う方がハードル高いやろ。

Dsc_6750
早速、隠岐国分寺の中へ。

詳細は不明ながら、741年頃の創建と言われています。

Dsc_6751
立派な山門です。

Dsc_6755
後醍醐天皇御在所跡

隠岐に配流された後醍醐天皇は、この地で約1年過ごしました。

温暖で食料も豊かな隠岐は、高貴な身分の方の配流先に選ばれることが多かったようです。

Dsc_6756
隠岐国分寺の礎石跡が奥に見えます。

Dsc_6758
更に奥へ。

こういう苔むした雰囲気の場所、好きなんですよね。

Dsc_6762
お優しいお顔のお地蔵様が安置されておりました。

Dsc_6765
本堂にも庫裏にも人がおらず、御朱印は断念。

ちなみに本堂は、2009年の火災で焼失

その後、2009年から本格的に発掘調査が行われました。

Dsc_6767
御朱印はあきらめ、隣の蓮華会之館へ。

Dsc_6768
蓮華会舞は古来より隠岐に伝わる舞楽で、弘法大師の命日である4月21日に舞が奉納されます。

Dsc_6773
蓮華会舞で使用される面。

元々あった面などは、奈良時代に中国から伝わったものでしたが、道具もろとも本堂と一緒に2009年の火災で焼失

保存会等の尽力により、2年後に復元されたのだそう。

Dsc_6774
か、顔が怖っ!

いずれも、インドや中国から伝来したものだそう。

Dsc_6787
国分寺跡を出ると、気になる建物が。

Dsc_6784
これは、牛突き場!

毎年8月15日に夏場所大会が開催されます。

Dsc_6785
その名も隠岐モーモードーム

名前がカワイイ!

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旅日記 ⑦中国」カテゴリの記事

コメント

国分寺は島後観光の最後に訪れたのでちょっと駆け足で巡ったので、モーモードームも終わってしまってたんですよね。
国分寺に妖怪がいたのは気付かなかったなあ。五体面、ご対面出来ませんでした(笑)

仕事、お互い大変ですよね、日曜しか休みない上に先週は日曜も卒園式だったので、3月は本当絶望的社畜状態です。労基法は一体どこへいった???

大樹さんへ♪
隠岐国分寺も絶対行きたい場所の一つだったので、忘れずに訪問してきましたよ。
モーモーは誰もいなかったので、こっそりお邪魔しました。
五体面は駐車場から歩いている時に発見しました。
島後で見かけたのはこの2体だけだったのですが、他にもいたのかもしれません。
先週は卒園式で日曜も出勤されていたってことは、一体何連勤されているのでしょうか…?
ご無理なさらず!

隠岐国分寺について調べました。
「明治に入ると廃仏毀釈の展開により、国分寺は明治2年(1869年)に本堂・三重塔の焼失ののち明治3年(1870年)に廃寺となった」
それは勿体なかったです!廃仏毀釈によって他にも消失した文化遺産がたくさんあった事でしょう。

マンゲンサイさんへ♪
どこのお寺か忘れましたが、以前、傷だらけの仏像があって、「廃仏毀釈運動で、子どもが仏像に登って仏像を傷つけた跡」と説明書きにあったのを見て、衝撃だったのを覚えています。
明治期って、そういう行き過ぎた行動というのが散見されますよね。
せめて、宗教と芸術を切り離して考えてくれれば破壊行動なんてことにはならなかったのでは?と思います。

隠岐の島、昔はお偉い人が権力争いに敗れて送られてしまう島のイメージを強く持っていたせいか、こんなに広くて今は色んな寺院もあるところだとは驚きです。
ナユタさんとこの、例のバカ息子氏もここに送られる日が近いのでは・・・!!(笑)

ゆうきさんへ♪
隠岐は住むのに環境が良いため、天皇など高貴な方が罪人が多く配流されたらしいです。
確かに、人は優しいし、食べ物は美味しいし、とても良い場所でしたよ。
件のバカ息子氏は、お偉いさんが集まる会議の席で「皆さんと一緒に成長していきたいと思います!」とブチかましたそうなので、網走あたりに流される日も近いのではないかと思います。
成長するのはオマエだよ(笑)

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